9月4日 主日の説教要約と週報

アララテの山とゴルゴタの丘

The Mountains of Ararat and the Hill of Golgotha 【創8:1-5】 2022. 09.04(主日)

序論

 7月17日にどんな事が起きたのでしょうか。勿論、私たちが使っている太陽暦と、聖書が使っている暦は違います。ただ7月17日が聖書の中で、どのような重要な事があったのかを、考えて見たいと思います。

 本文はノアの大洪水があってから5カ月後、即ち、150日後に水が減り始め、水の上を漂っていたノアの箱舟が、7月17日にアララテの山に留まった記事です。その過程については本文1-2節に記されています。

 今日はノアの箱舟が、なぜアララテの山に留まったのかと言う説教を通して、語る者も聞く者も、共々に恵みを求めたいと思います。またなぜイエス様がゴルゴタの丘で十字架に付けられ、死なれたのかを考えて見たいと思います。またアララテの山とゴルゴタを結んで、私たちに与えられる恵みの御言葉を、共に詳しく見て行きたいと思います。

1.アララテの山に留まった箱舟

(1)ノアの箱舟

 ノアの箱舟を考えて見たいと思います。箱舟はヘブル語で「テバフ」と言います。ヘブル語は象形文字なので、漢字のように一文字毎に意味を持っています。「テ」は十字架を意味します。「バ」は家を意味します。「フ」は気孔(気体の通路)を意味します。従って箱舟は十字架「テ」で建てられた家「バ」として、命の呼吸「フ」をすると解釈できます。

言うまでもなく、イエス様が十字架で建てられた教会で、新しい命を得た者たちが、命の呼吸をしながら生きると言う意味になります。箱舟と同じ「テバフ」と言う言葉が使われた言葉がもう一つあります。それはモーセのパピルス製のかごです。また神様の契約の箱も、同じ意味で使われています。即ち、ノアの箱舟と、モーセのパピルス製のかごと、神様の契約の箱は、イエス・キリストの教会を象徴しています。

(2)アララテの山

 アララテはどのような意味を持っているのでしょうか。「アララテ」は「聖なる地」と言う意味と、「創造」と言う意味を持っています。アララテの字を一文字ずつ見て見ましょう。「ア」は神様、大きい雄牛等の意味があります。「ラ」は後頭部、妊娠、始めと言う意味があります。「テ」は蛇の知恵と言う意味があります。従ってアララテの山は、全能なる神様が真理の御言葉によって、新しい創造を始められ、知恵を与えて、神様の計画を完成されると言う意味で考えられます。ノア時代の全ての罪をさばかれ、ノアの箱舟に乗っていた8人の家族と生き物たちを通して、聖なる地で新しい世界を始められ完成される、と言う意味になります。アララテはアッカド語「アラル」から生じたと言います。その意味は「縛る、製止する、呪い、呪われる」等の意味があります。イエス・キリストは、全能なる神様の御子として世に来られ、十字架の呪いを受けて死なれました。また彼はご自分が流された血潮によって代価を払われ、買われた教会(個人と共同体)を聖なるものとされました(ガラテヤ3:13-14)。

 全能の神様の御子が、しもべの姿をとって世に来られました。最も低く卑しい姿となられました。呪われてむごたらしく打ち壊されてしまいました。地に落とされてしまいました。それは正に私たちのために、私自身のために、そのようになられたのです。

2.ゴルゴタの十字架につけられたイエス

(1)ギルガルの割礼(ヨシュア5:2-9)

 民数記33:5-37の御言葉を見ると、イスラエルが出エジプトしてから、40余年の間に宿営した場所が42カ所でした。ヨルダン川を渡って最後に宿営したのが、正にギルガルでした。ヨシュア5:2-9節までの御言葉を見ると、イスラエルは40年間荒野を旅し、宿営しながら生きて来たので、荒野で生まれた者に割礼を施す事が出来ませんでした。今やヨルダン川を渡ってから宿営して、そこで40年ぶりに割礼を施しました。「ギルガル」と言う言葉の語根は「ガーラル」で、その意味は「転がる、転がす」等の意味です。神様がイスラエルのエジプトでの羞恥を、転がして捨てられたのです。また荒野生活40年の間、42カ所も場所を移して旅しながら宿営したのですが、彼らの不従順に依って発生した全ての羞恥を、神様が転がして捨てられた事を意味します。

 これは私たちが罪を悔い改めて、主イエス・キリストを心にお迎えするなら、神様が私たちの原罪を転がして捨てられる事を意味します。このような予表が正に、ギルガルにあったのです。

(2)ゴルゴタの血潮によって(ヨハネ19:17-18)

 ゴルゴタはヘブル語であり、ラテン語で言えばカルバリーとも言います。ゴルゴタの意味は「蓋骨、頭蓋骨、どくろ、されこうべ」です。その丘は十字架の処刑が多かった所で、頭蓋骨がたくさんあった所です。だから自然に不浄な所でありました。所で「ゴルゴタ」の語根は「カーラル」です。カーラルの意味は「転がる、転がす」です。ヨシュア5:9節に出て来る「ギルガル」の語根も、やはり「カーラル」です。つまりギルガルやゴルゴタの語根は同一なのです。

 そうならばイエス・キリストは、ゴルゴタで十字架に付けられて死なれる事になっていた、と言う事が出来るでしょう。イエス・キリストは十字架の血潮によって、汚れた私たちの原罪の羞恥を全て転がされたのです。ゴルゴタで十字架につけられて死なれた、イエス・キリストの贖いの恵みとその血の功労を信じる者たちには、罪によって生じてしまった全ての羞恥が、完全に転がされてしまったのです。

3.新しくして下さい

(1)アララテとゴルゴタ

 アララテとゴルゴタは、人類の原罪と自犯罪の全てを解決する場所です。ノアの箱舟の留まったアララテの山は、呪いを受けた所が聖なる地となり、新しい創造を始めた地となった事を意味します。ゴルゴタはイエス様が私たちの罪のために、徹底的に呪いを受けられ、神様からも捨てられて死なれた場所です。十字架の呪いを受けられた、イエス様の贖いの功労を通して、イエス様を信じた者は新しい被造物となり、新しい出発を始めます。彼らは神様と命の契約を結び、神様の計画を完遂する事になります。

(2)新しくして下さい

 アララテの山は聖なる山となりました。箱舟がその山に留まるようになりました。今やさばきの洪水は段々と消えて行きました。ノアの箱舟に乗っていた家族8人と、全ての生き物たちはアララテの山に降りました。さばきと呪は終わり聖なる所となり、創造の御業が再び始まる事になりました。イエス様はゴルゴタの丘に立てられた、十字架に付けられて死なれました。その丘は余りにも多くの十字架刑があったので、どくろが沢山ある所でした。どれ程酷かったら、ゴルゴタと言う名を付けるでしょうか。そこは罪と呪と死が転がって行く所です。

 アララテの山やゴルゴタは、神様が選んだ人々が罪と呪と死から解放され、新しく出発する聖なる所です。アララテの山に建てられた聖なる地、ゴルゴタの十字架によって建てられた、イエス・キリストの聖なる教会は、新しく変化された共同体が形成された教会を象徴しています。

 そこは罪人たちの避難所です。永遠の巌です。常に主は保護して共にいて下さる愛と、恵みが満ち溢れる所です。第二列王記に次の御言葉があります。

19:36 アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。

19:37 彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。(Ⅱ王19:36-37)

 神様が遣わされた【主】の使いが、一夜の内にアッシリヤのセナケリブ王の兵士、185,000人を打ち殺しました。すると二人がセナケリブを剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれました。アララテは逃亡者が逃れて住む逃れの町です。私たちも逃亡者のように、追われる人生を生きていましたが、アララテの地やゴルゴタの丘に逃げれば、主が受け入れて下さいます。そして新しくして下さり、聖なる者として下さって、もう一度新しく始める事が出来るようにして下さいます。

結論

 今日は旧約のアララテの山と、新約のゴルゴタの丘のつながりを説教しました。二か所ともイエス・キリストの教会が、建てられた所を象徴しています。

 私たちはさばきの洪水の中でも、箱舟の中で保護されました。時が来れば箱舟はアララテの山に留まるでしょう。私たちはそこに降りる事になります。私たちはゴルゴタの丘にやって​​来ました。わたしたちの罪と死と呪いは全て、イエス・キリストの血潮の力によって、転がって行きました。今や私たちは新しい被造物になり、長子であられるイエス様と共に、永遠の天国を相続するようになります。

(1)アララテの意味は何であり、教会とどのような関係がありますか。

(2)ゴルゴタの意味は何であり、なぜイエス様はゴルゴタで十字架にかかって、死なれたのですか。

(3)アララテとゴルゴタはどんな関連性がありますか。

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